児島 啓祐(こじま けいすけ)

概要

日本の古典文学のなかでも、平安時代のおわりから鎌倉時代のはじまりにかけての作品を中心に研究しています。これまでに扱ったのは、たとえば、説話文学の『今昔物語集』や『古事談』、軍記物語の『平家物語』、天台宗の僧侶・慈円(1155‐1225)が作った和歌および歴史書『愚管抄』などです。これらの古典が生まれた時代の学問や宗教思想を踏まえて読みなおす作品論に取り組んできました。昔のものを深く読むには、昔の人のものの考え方をよく知ることが有効だからです。最近は、室町時代のおわりから江戸時代のはじまりにかけての『愚管抄』を書き写す人々の交流やその意義を探求し、「いかに読まれてきたか」(享受論)を解明することも主要な研究課題として位置づけています。

研究キーワード

  • 中世文学
  • 説話文学
  • 軍記物語
  • 歴史叙述
  • 和歌文学
  • 仏教文学
  • 古典教育

メッセージ

古典は難しいですね。千年も前の文章がすらすら読めるはずもありません。わからない、という本音を大事にするところからはじめましょう。じっくり理解が深まることの面白さを、そして広がり続ける奥深さを、一緒に味わってみませんか。

研究事例

事例①『愚管抄』のオノマトペと密教思想に関する研究

「はたと」「むずと」「どうと」のようなオノマトペが駆使されるのが、『愚管抄』の文体の面白いところです。ところが、真面目な歴史書のなかで擬態語が多用されるのは、珍しいことでした。擬態語は子どもっぽい言葉です。お堅い歴史書には似つかわしくありませんね。それでは、なぜ慈円は易しい文体をわざわざ選んだのでしょうか。こうした文体が選択された思想的背景には、浅はかで俗なものこそ、深い真実に他ならないとする、密教学の発想がありました。

事例②『平家物語』の陰陽師に関する研究

『平家物語』には、安倍晴明の子孫、「安倍泰親(やすちか)」という陰陽師が何度も登場し、華々しい活躍が描かれます。一方で、同時代の「時晴(ときはる)」という陰陽師は、失態を犯した姿が一度だけ、しかも泰親と対比される場面で描かれています。それでは、どうして対照的な人物像が生まれることになったのでしょうか。その理由は、陰陽師たちの熾烈な流派争いに求められます。泰親のグループと、時晴のグループはライバル関係にありました。すなわち『平家物語』の陰陽師説話は泰親グループの影響を受けていることがわかったのです。

事例③中世の地震伝承、特に「龍神が地震を起こした」とする説に関する研究

日本の地震観の研究では、龍(中世)からナマズ(近世)へという歴史的変化が指摘されてきました。ですが、この通説には疑問があります。龍の説が、日本中世の地震観といえるほどに普遍性を持ち得ていたとは考えられないからです。実は、これまでの研究でとりあげられた貴族の日記や歴史書に見える龍説の事例のほとんどは、占術の偶発的な判定結果(たまたま)であることがわかりました。龍の説は、地震占いの諸説(帝釈天、火神など)の内の一説に過ぎません。つまり、龍のみが時代を代表する認識とは言い難いというわけです。

その他

  • 事例①「『愚管抄』の文体とその思想的背景 」(『中世文学』65号 54-62頁 2020年6月)
  • 事例②「『平家物語』の陰陽師像とその史的背景――安倍泰親と時晴の対比表現をめぐって」(『日本文学』70巻8号 1-11頁 2021年8月)
  • 事例③「元暦地震と龍の口伝――『愚管抄』を中心に」(『軍記と語り物』54号 58-69頁 2018年3月)

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